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東京高等裁判所 昭和51年(ラ)784号 決定

抗告人

松下みどり

昭和五一年六月二四日生

右法定代理人親権者父

松下春雄

(仮名)

同母

松下秋子

(仮名)

右代理人

岩本充司

抗告人の申立にかかる静岡家庭裁判所浜松支部昭和五一年(家)第七五五号名の変更審判申立事件について、

同裁判所が同年九月九日なした審判に対し、抗告人から原審判の取り消しを求める即時抗告があつたので、当裁判所は次のとおり決定する。

主文

原審判を取り消す。

抗告人の名「みどり」を「智香」と変更することを許可する。

理由

抗告人の抗告の理由は、本件申立は、原審判の「申立の理由及び主張の要旨」欄に記載のとおり、名の変更について正当な事由がある場合であるからこれを認容すべきところ、原裁判所は右申立を却下したので、原審判の取り消しを求める、というにある。

本件記録によれば、抗告人は、昭和五一年六月二四日、松下春雄と松下秋子夫婦の長女として出生し、父母は協議の結果抗告人を「翠」と命名することに決し、父が同年七月二日出生地の○○市役所に出生届を提出したところ、戸籍係員から「翠」は当用漢字及び人名用漢字のなかにないから受理できないといわれ、そのため父は母と相談することなく一存で抗告人の名を「みどり」とする出生届を提出し、これが受理されたこと、ところが、母は、抗告人の名について「翠」の次位のものとして、「智香」を考えていたので、夫が自分に相談せずに「みどり」として届出たことに憤激し、抗告人の名の呼称をめぐつて夫婦間にいさかいが生じるに至り、その後父も抗告人の名を「智香」とすることを希望するようになつたこと、母は、○○生命浜松支社に勤めているが、出生届の三日後の同年七月五日同社に対し提出した「異動申告書」及び同日同社健康保険組合に対し提出した「分娩費・育児手当金請求書」にいずれも出産児の氏名を「松下智香」と記載しており、両親は、抗告人の出産祝に対する名披露に当つても「智香」を使用し、同月一二日本件申立に及んだこと、以上の事実が認められる。

ところが、名は氏と相まつて個人を特定し社会生活において個人の同一性を表象する称号たる機能を果すものであつて、一たび命名された以上これをなるべく変更しないことが、社会の呼称秩序の安定をはかるうえからはもとより、戸籍事務の混乱を避けるうえからも強く要請されるところである。一方また、いかなる名を呼称するかは、個人の利益とも深いかかわりを持つ問題であつて、すでに述べた社会的利益と調和するかぎり、名の呼称に関する個人的利益もまた無視されてはならないものである。戸籍法一〇七条二項にいう「正当な事由」の有無の判断は、かかる二つの法益を較量して決定すべきものと解すべきである。しかしてまた、出生した子にいかなる名をつけるかは命名権者の決するところに属し、命名権が親権の内容に属するかどうかはともかく、命名に当つては両親の間になるべくその一致をみることが望ましいこともまた疑いのないところである。

本件においては、父母が欲した「翠」という名は、当用漢字及び人名漢字中にない漢字をもつては命名を許さないという国の政策から、命名することができなかつた事情があり、そのため父が母と相談することなく届出た「みどり」をもつては母の納得するところとならず、抗告人の名の呼称をめぐつて夫婦間にいさかいを生じ、両親は母の勤務先に出生届の三日後には抗告人の名を「智香」と届出るとともに、その七日後に本件申立に及んでいて、右「智香」という名をもつて抗告人を呼称する意思が堅いところ、父母の間に出生届の経緯をめぐつて、いささかでもいさかいを残すことは抗告人の将来にとつて必ずしも望ましいことではなく、抗告人はまだ出生して半歳に満たない乳児であつて、その名を変更することによる社会的影響も少ないことに鑑みれば、本件においては、名の変更について戸籍法一〇七条二項にいう正当な事由がある場合に当るものと解するのを相当とする。

なお、乳幼児の改名のように、社会的影響が殆んど考えられない場合でも、それを理由に恣意による名の変更は認めるべきでなく、この点原審判の説くとおりと考えられる。ただ本件においては、前述のとおり抗告人の両親の協議に基く命名による届出が国の政策による使用漢字の制限のため受理されず、このことに起因して結果的に両親の意にそわない命名届出がなされるに至つたものであり、その間の経緯において抗告人の両親に軽率の点がないとはいえないけれども、この点を深くとがめるのは相当でなく、恣意による名の変更と断ずるのは酷に失すると考える。

よつて、家事審判規則一九条二項により、本件申立を却下した原審判を取り消し、抗告人の名「みどり」を「智香」と変更することを許可することとし、主文のとおり決定する。

(安岡満彦 山田二郎 堂園守正)

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